羊羹の茶話
桜の時期も終わり気温の乱高下に苦しめられる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
本日はお茶のお供、ようかんについていくつか面白いお話を一席演じさせて頂きます。
ようかんは奈良時代に中国から伝来しましたが、当時の羊羹は、羊の肉や肝臓の羹(あつもの)であり、油分が多く冷えると煮凝りのように固まったそうです。
現代の料理としてはテリーヌやリエットあたりをイメージすれば良いのでは無いでしょうか。
肉食を禁じた仏教が広まると共に肉の代わりに小豆を肉に見立て小麦粉や葛粉で固めていたそうです。
江戸時代精糖技術の発達と共に砂糖を加えた高級品ができると様々な悲劇が起きるようになります。
今では200円も出せば1kgの砂糖が手に入りますが江戸では当時の価値でキロ5000円を越えるような高級品。
古くは薬としても扱われ、庶民は滅多な事ではらありつけないのが普通でした。
そんな砂糖を贅沢に使い美しく黒く輝く憧れの菓子、それが江戸の羊羹でした。
砂糖を大量に使用しているため現代でも保存食、非常食として長時間の備蓄に耐えますが
保存料や冷蔵庫もない江戸時代でも一月以上の保存ができました。
ここで件のお茶と羊羹
さて、本題はこれから
保存が効き、非情に高価な羊羹、茶の湯文化の発展と共に茶菓子として供されるようになりました。
このときいわゆる茶の湯、抹茶文化から煎茶文化に移行するまでのお話もまた面白いのですがそれはまたいずれの機会にでも。
そんな高級なモノを商家などでは見栄のため、客に出せるほど商いが順調であることの証明として
「よろしければどうぞ」などと羊羹を出すことがありますが客側はその茶請けの羊羹を絶対に食べてはいけません。
ヘタをすれば刃傷沙汰、出禁にされてしまうかもしれません。
羊羹を すなおに食って 睨まれる
こんな歌が残されています。
羊羹は客に礼儀として、先ほど述べたように見栄や穎脱の証明として出す(見せる)物であり、
何人もの客に同じ羊羹を出しては残されたモノを別の客に、と何度も使い回していました。
一週間、一ヶ月と幾度も幾人の客に出しては残され、しなびて表面に薄く白い糖が浮かんできた頃、ようやく店の主人や家人が口にする。
例の病気が流行している昨今では恐ろしいとも思える今となっては信じられない話ですがそれが江戸における『暗黙の掟』として薄く広く浸透していたのでしょう。
それを知らずうっかり口にした客とそれを間近に見る主人の怒り・・・
そんな昔日の光景を思い浮かべながら茶に流される甘味を受け入れましょう。
ごちそうさまでした。